クレヨン雑記帳

自分を育てるブログ

最近読んだ本について 原田マハさん著「リボルバー」

 

原田マハさん著「リボルバー

ポスト印象派の二人の天才について描かれた作品。

 

私は別に美大卒とかじゃないんだけど、絵が好きです。

 

最初はただ絵が好きなだけだったけれど、原田マハさんの「ジヴェルニーの食卓」を

読んでから画家の人物像や人生にスポットライトを当ててみると、絵の見方が全然違って見えてくるようになりました。ゴッホゴーギャンの話だったら、そりゃあ、読みたくなる。

 

天才のことなんて、何者でもない私にはよくわからないけど、彼らの人間味溢れる「人生そのもの」が人を魅了するってやっぱり天才なんだ、と感動してしまう。それと同時に彼らも人生に悩み苦しんだ一人の人なんだな、と。

 

ミステリで展開していくストーリーは読みやすくて、おすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

機能不全家庭3

機能不全家庭について、2つ記事を書いてみたけど、想像以上に苦しかった( ;∀;)

 

どうしても重くなってしまう。

 

なので、これでもう書かないかもしれない。

(違うアプローチからは書くかもしれません)

 

中学生以降の私達機能不全家庭の行く末は、絵に描いたような家庭崩壊を歩みました。

両親は離婚し、私が高校生のとき、母は亡くなりました。その後は、何年も会っていなかった父との地獄のような生活が始まりました。

 

社会人になると、より難易度の高い試練を要求され、金銭面での負担も重くのし掛かってきました。結婚、出産後も変わらず負担は大きく、私はこのままでは私だけじゃなく、自分の娘にまで被害が及んでしまうと思い、何年も悩みましたがようやく決別する決心をしました。

 

完全に関係を絶ってから、それでも山あり谷ありで一筋縄にはいかなかったけれど、平穏な生活を取り戻しつつあります。

 

こんな風に苦しむ人がいない世の中になってほしい。

 

暗い話、読んでくれた人ありがとうございました。

 

コミュニケーションや表現のこと

先日、とある占いに行って来ました。
失業中というのもあり、軽い気持ちで運勢を見てもらいたかったので。
※そもそも、占いに頼るというのも非現実的ではあるよね。

まず、ざっと生年月日を伝えて仕事についてみて欲しいと伝えました。
すると具体的な悩みなどは一切聞かれず、しょっぱなから「あんたは、ぶりっ子だ」と
言われ目が点に。その後小一時間近くぶりっ子ぶりっ子と、いわゆる辛口批評のような話を聞くも
私が話をしようとしても全くスキがない状態。

ぶりっ子出来てるならもっと楽しい人生送ってたと思うわ、と心の中で突っ込みを入れつつ、
決して誉め言葉ではない言葉を言われてもアラフォーなのでそこは鋼のメンタル。

一歩引いて考えると、昭和から平成初期にかけての、辛口のこと言うのが愛!という相手のビジネススタイル
なのかと思いました。(自分の親世代の方でかなり長く占いをしているよう)確かに、その時代は「あなたのためを
思って言っている」という魔法のフレーズがあり、受け手側もそれに心動かされることがあったと思う。たしかに内容によっては厳しいことを言うのも愛情だとは思うよ。しかし、一時間程の話の中で私の心に刺さるものは驚くほど何もなかった。
(相手を批判している訳ではありません。一応運勢の流れ的なものは出してくれたので満足しています)

昭和・平成スタイルから令和スタイルへの移行はコロナ禍の影響もあり、まさに時代が一気に変わったー!
自分らしくありたいと思うのと同時に人との対話も必ず必要なわけで、その中で時代に合わせて相手の心に「刺さる」表現て大切なんだなと改めて感じました。とはいえ、私もコミュニケーションは苦手だし、誤解されることも沢山ある。このブログも、書きたい気持ちと不器用が相まってかなりめちゃくちゃ。自分の表現力の無さに日々落ち込む。自分からなにかを発信していくの慣れてないから大変。でも、自分の人生を生きるって決めたし、やりたいことやってみよー。

機能不全家庭の行く末2

長年苦しんだ母の呪いと呪文のことば。

小学校時代になると祖父母の家に行く事は少なくなり、私は平日は毎日習い事をさせられるという生活になりました。習い事沢山するなんて教育熱心でお金あるんだ、と思われてたかもしれないですが、実際は私の成長はどうでもよく、すべて母の見栄と自分の時間の確保のためだったのです。友達と遊ぶことは禁止され、やりたくもない習い事に行く毎日に嫌気がさしていました。そして、このころから頻繁に言われたのが「あんたがおかしなことすると私ら親が恥かくからおとなしくしといて」母のこの呪文は後々まで私の人生にかなり影響したように思います。人の顔色を伺うのが癖になり、相手に迎合したいわけではないのに、無意識に相手の望む方向性に合わせてしまう。自分の存在が恥ずかしいものだと思うようにもなってしまっていました。

そもそも、「おかしなこと」事態が子供にはよく理解出来ないんじゃないでしょうか。

一度習い事をすっぽかして友達と遊んだことがあります。その子が引っ越しするので、会えなくなってしまうからでした。しかし、猛烈に怒られました。また、同級生が部活を楽しそうにやっていて羨ましくなり、私も習い事やめて友達と部活したいと訴えましたが、その願いは叶うことはありませんでした。そんな状態で学校でもあまり友達は出来ず、かなり浮いていたんだと思います。それでもそのときは、頑張って母の想いに応えようとか、頑張れば私を見てくれるんじゃないかと思っていたような気がします。あとは、怒られたくないのもありました。

相変わらず父はたまにしか帰ってこなかったのですが、帰って来てもやはり当たりはキツかったです。つい最近自覚したことは、この一連の流れは母の呪いだったということ。母は自分の立場を確保しつつ、私という標的を作っていたのです。呪文のことばで私を縛り付けていました。父が帰ってきたときに、身に覚えのないことで怒られ、外に追い出される事がよくありました。母が私について何かしらのネガティブな内容を父に話していたのだろうと思います。真冬の寒いなかだろうが関係なく外に出されます。よく分からない理由で怒られ、よく分からないまま「ごめんなさい、中に入れてください」と泣き叫んでいました。ただ、当時あまり帰って来なかったのが良かったのでしょう。毎日帰って来ていたらもっと悲惨なことになっていたかもしれないからです。

その頃弟は幼稚園に通っていましたが、ある日母が上機嫌で手提げカバンを私に見せて来て、これお母さんの宝物にするわ、と言ってきました。

よく見ると弟が書いた母の似顔絵がプリントされた手提げカバンでした。幼稚園で作ったものを保護者にプレゼントするという企画だったのでしょう。私はそのカバンと嬉しそうな母を見て、なんとも言えないとても悲しい気持ちになったのを今でも鮮明に覚えています。

そうやって、かろうじて学校には通っていましたが、友人関係という社会から切り離され、家では母の呪いによってポジショニングされ、無意識に孤独が深くなっていきました。

 

昔の話ばかりになってますが、毒親から逃れ自分を取り戻すまで、莫大なエネルギーを使いました。今でも完全には取り戻せてないように思います。子供は親の愛情を疑うことがないから愛されていると信じています。私もそうでした。

 

 

 自分を取り戻す過程で参考になった一冊です。

ただ、ストーリーには毒親の存在は出てこなかったですが、

「自分を大切にする」ことに着目したわかりやすい本でした。

 

KALDI

ふと立ち寄ってみたくなり、先日、近所のカルディへ行って来ました。

 

購入したのは、有名なパンダの杏仁豆腐と、「もへじ」あらほぐし焼鯖、お菓子を少し。

 

杏仁豆腐とお菓子は、普通においしい(*´▽`*)おすすめなのが、

「もへじ」あらほぐし焼鯖でした。塩味が丁度よくて、臭くもなく食べやすかった!

鯖を焼くのが面倒だなってときとか、お弁当にも使えるし、アレンジ料理とかも出来そう。

 

本当は、豆花が欲しくて行ったのだけど、目当ての豆花は見つからず、もしかしてもう売ってないのかしら!?と思いつつスパイスやお茶やコーヒーと色々あって、とても楽しかったです。試したくなる商品が沢山あったから、また近い内に行こう。

 

 

 

機能不全家庭の行く末1

暗い話になってしまいますが、

私は機能不全家庭で育ちました。

 

いきなり何のカミングアウト!?って感じですけど、このブログの「自分を育てる」は機能不全家庭で育ち、日々生きづらさを感じる自分と向き合い、自分で自分を育て直す意味もあります。(そして、こんな人もいるんだーって思ってもらえれば…)

 

今の生活が特別困ってる訳ではないし、人によっては恵まれてると思われるかもしれません。普通の生活が出来ていることはありがたいです。しかし、アラフォーになった今でも、キラキラした人を見ると自分が惨めに感じたり、全く別世界のように思ったりします。同年代の方が母親と買い物をしている姿を見ると、なんとも言えない気持ちなりその場を立ち去りたくなったり、子供におじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行こうと言えなかったり。そして、何よりも自分自身の生きづさらがあります。

 

それでは、機能不全家庭の略歴を紹介します。まず、父は仕事の都合もありましたが、年間通して1、2回しか家に帰って来ませんでした。帰って来ても私には辛く当たり、ちょっとしたことでも怒鳴られボコボコにされ(今なら即通報されるレベル)前触れもなく帰って来ることに怯えていました。母は、パチンコ、アルコール、もちろん私を助ける素振りも見せません。弟がいますが、父も母も弟ばかりを可愛がっている記憶しかない。要するに、毒親です。当時は自分でも気づいてなかったですが、家庭内に私の居場所はありませんでした。私は、幼少期から祖父母に預けられることが多く、親との楽しい記憶は皆無ですが、祖父母が可愛がってくれたことが唯一の救いでした。

 

 

 

多分、この話は長いし一回にまとめられそうもないので、また折を見て書いていこうと思います。

生きづらさの理由は人それぞれあると思うけど、私の場合は、機能不全家庭が大きな割合を占めている気がします。私が子供の頃は今みたいな子育ての考え方ではなかったし、虐待という概念が薄かったように思います。なので、親になれば親の気持ちが分かるとか言われることはよくあったけど、親になった今でも彼らの気持ちは理解出来ません。理解する必要はもうないとも思うけど。

 

それでは、この辺で今日は終わります。

 

 

 

 

 

いまどきJKとお袋の味

今日は子育てと料理について書きます。

 

うちは高校生の子がいるんですが、まさにお年頃。

人それぞれ成長スピードなど違うので、今ものすごい反抗してます!っていう感じはないんですが(思えば小学校高学年が、ザ・反抗期のピークだったような・・・)高校生ともなるとデリケートな部分もあり親と距離をとりだすので、小さい頃のようにはいきません。(当たり前)

 

いまどきのSNSでのコミュニケーションの取り方や多様性、母はついて行けず置いてけぼり感満載の事もある。私は、SNSもやらないし家族とLINEするくるらいしかしません。ようやく最近ブログをやり始めたばかり。自分のことを思い出してみると、かろうじて友達とプリクラ撮りに行ったとか、そういうのはあったな。スマホはないのでケータイですが、田舎なので持ってる子も少なかった。

 

そこで、聞いてみました

 

お母さんっていえば思い出す料理ってある?

 

「えー、教えたくない!」

「教えてよ~」

 

という押し問答の末、答えてくれました。

 

じゃがいものガレット。

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カレーライスでも、唐揚げでも、オムライスでもなかった。

一応思い出す料理があってよかった!

 

子育てに関しては、決して褒められた母ではない

 

さいころから働いていたので、保育園、小学校、と寂しい思いを

させていたと思うし。料理も手抜きが多かった・・・。とりあえず、食べれればいいでしょという感じです。給食の存在も大きい。

ママ友付き合いも下手で、子供のためにはママ友つくらなきゃ!と思えば思うほど自分を追い込んでいた時期もありました。結果、ママ友は出来ず、うちの子大丈夫だろうか、と不安に思うこともしばしば。でも、何も影響なかったように思います。

子供には子供の世界があるし、私とは別人格ですからね。

でも、子供にとっていい母でありたいと思う気持ちはあります。

なるべく共通の話題を作ろうと好きなアーティストのライブに一緒にいってみたり、

流行りのリサーチをしてみたり(笑)旅行も年に1,2回は行ってたかも。今、コロナで

無理ですが。

 

 

いつか巣立つときが来る

完全に巣立つまでまだもう少し時間がありますが、高校生になると楽になったと思う反面、さすがに親が手出しできる部分は少ないです。でも、とても大事な時期。

親から自立していく時期でもありますよね。今度は私の方が寂しさを感じますが、

親として、彼女の人生を応援し出来ることはしてあげたい。

そして、彼女の記憶に残る「お袋の味」を下手なりにもまだまだ作り続けたい。

 

ありがとうございました。