クレヨン雑記帳

自分を育てるブログ

機能不全家庭の行く末2

長年苦しんだ母の呪いと呪文のことば。

小学校時代になると祖父母の家に行く事は少なくなり、私は平日は毎日習い事をさせられるという生活になりました。習い事沢山するなんて教育熱心でお金あるんだ、と思われてたかもしれないですが、実際は私の成長はどうでもよく、すべて母の見栄と自分の時間の確保のためだったのです。友達と遊ぶことは禁止され、やりたくもない習い事に行く毎日に嫌気がさしていました。そして、このころから頻繁に言われたのが「あんたがおかしなことすると私ら親が恥かくからおとなしくしといて」母のこの呪文は後々まで私の人生にかなり影響したように思います。人の顔色を伺うのが癖になり、相手に迎合したいわけではないのに、無意識に相手の望む方向性に合わせてしまう。自分の存在が恥ずかしいものだと思うようにもなってしまっていました。

そもそも、「おかしなこと」事態が子供にはよく理解出来ないんじゃないでしょうか。

一度習い事をすっぽかして友達と遊んだことがあります。その子が引っ越しするので、会えなくなってしまうからでした。しかし、猛烈に怒られました。また、同級生が部活を楽しそうにやっていて羨ましくなり、私も習い事やめて友達と部活したいと訴えましたが、その願いは叶うことはありませんでした。そんな状態で学校でもあまり友達は出来ず、かなり浮いていたんだと思います。それでもそのときは、頑張って母の想いに応えようとか、頑張れば私を見てくれるんじゃないかと思っていたような気がします。あとは、怒られたくないのもありました。

相変わらず父はたまにしか帰ってこなかったのですが、帰って来てもやはり当たりはキツかったです。つい最近自覚したことは、この一連の流れは母の呪いだったということ。母は自分の立場を確保しつつ、私という標的を作っていたのです。呪文のことばで私を縛り付けていました。父が帰ってきたときに、身に覚えのないことで怒られ、外に追い出される事がよくありました。母が私について何かしらのネガティブな内容を父に話していたのだろうと思います。真冬の寒いなかだろうが関係なく外に出されます。よく分からない理由で怒られ、よく分からないまま「ごめんなさい、中に入れてください」と泣き叫んでいました。ただ、当時あまり帰って来なかったのが良かったのでしょう。毎日帰って来ていたらもっと悲惨なことになっていたかもしれないからです。

その頃弟は幼稚園に通っていましたが、ある日母が上機嫌で手提げカバンを私に見せて来て、これお母さんの宝物にするわ、と言ってきました。

よく見ると弟が書いた母の似顔絵がプリントされた手提げカバンでした。幼稚園で作ったものを保護者にプレゼントするという企画だったのでしょう。私はそのカバンと嬉しそうな母を見て、なんとも言えないとても悲しい気持ちになったのを今でも鮮明に覚えています。

そうやって、かろうじて学校には通っていましたが、友人関係という社会から切り離され、家では母の呪いによってポジショニングされ、無意識に孤独が深くなっていきました。

 

昔の話ばかりになってますが、毒親から逃れ自分を取り戻すまで、莫大なエネルギーを使いました。今でも完全には取り戻せてないように思います。子供は親の愛情を疑うことがないから愛されていると信じています。私もそうでした。

 

 

 自分を取り戻す過程で参考になった一冊です。

ただ、ストーリーには毒親の存在は出てこなかったですが、

「自分を大切にする」ことに着目したわかりやすい本でした。